仙台市宮城野区の矯正歯科、ぬかつか矯正歯科クリニックです。

院長の歴史

ぬかつか矯正歯科クリニック院長の糠塚世毅です。
私のこれまでの歴史を少しだけご紹介します。よろしければ最後までご覧ください。
一度でもご来院いただいた方はご存じのとおり、現在の私は背が高く体格も良いのですが、産まれた時の体重は3000g前後といたって普通のサイズでした。
私が幼い頃東北大学に勤務していた父(当院顧問)は、あまり家にいない「レアキャラ」だったため、一緒に過ごせた時間はとても幸せでした。
父が肩車してくれたこの写真は今でも宝物です♪


そんなこんなでスクスクとそして伸び伸びと素直に育った私ですが、どうやら色々と事件も起こしてきたようで・・・・。母の口からは今の私からは想像もできないようなやんちゃエピソードが出てきたりもします。

人生の大切なことを学んだ糠塚少年

ある日、私たち兄弟は母に怒られて、外に締め出されてしまいました。

玄関のドアを叩いても、声をかけても気付いてもらえない・・・。
どうしよう・・・これはまずい。
このままでは小さな妹たちが、お腹を空かせてしまう!!!と正義感溢れる、頼れるお兄ちゃん(私)は、考えました。
なんとか母に気が付いてもらう方法はないだろうか・・・。

そうだ、手がダメなら木の棒を使ってみよう!ドアだと気付いてもらえないから、窓ガラスを叩いてみよう!
うん、そうしよう!!
・・・!!!

こうして皆様のご想像通り、割れた窓ガラスによって、更に怒られたのはいうまでもありません。
この事件を通して「ガラスは脆い」ということを学んだ糠塚少年。それからというもの、ガラスの扱いには特に慎重になったとかならないとか・・・。
失敗から学ぶって大事ですよね!


そしてこれは、小学生の頃教育実習だった先生が就職されたということで、友達と一緒に遊びに行った時の写真です。

子供だけで電車に乗って、気仙沼まで行きました。先生のアパートに泊まらせてもらったのですが、今の時代ではなかなか考えられないですよね。色々と問題になりそうです。笑

中学生の私は、同級生と並ぶとまるで親子。
それは言い過ぎですが、かなり背も高くなり、母のことも「お袋」なんて呼んじゃったりして、大人の階段を二段飛ばしで登っておりました。

この同級生と並んでいる写真は、東北中学校陸上競技大会に陸上3種競技<幅跳び・400m・砲丸投げ>で選手として出場した時のものです。残念ながら全国大会までは進むことができなかったのですが、砲丸と幅跳びでは5位に入賞でき、とても良い思い出です。
表彰といえば、こんな賞ももらいました



質問への回答がTHE思春期でいい感じです。そして「自分歯医者の息子なんで、当然す」とでも言いたげな表情もCoolです。

時は過ぎ・・・

いきなりの上裸ですみません。体脂肪率7%の時代です。我ながら見事ですね。



体脂肪率9%の時代もありました。細いですね〜。
今の体脂肪率は・・・・



ご想像にお任せします。


大学では、煩悩を捨てるためスキンヘッドにしてみました。(嘘です)
この頃は、クラスの女子生徒たちに「ニンニク臭い」といつも怒られていました・・・。煩悩は捨てても、ニンニク料理は捨てられなかったようです。
そして蓄えたニンニクパワーを使っていたかは分かりませんが、大学院に進むとかなり過酷な生活を送っていました。睡眠時間は1日3〜4時間なんてことも珍しくありません。




そんな修行の日々の唯一の息抜きが、釣り。17時にちょっとだけ教室を(こっそり)抜け出して、釣りをして、帰ってご飯を食べ、夜1時に研究室に戻ってまた研究・・・。

色んな意味で今ではあり得ないような生活です・・・。夜中の3時に上司に電話しても許されるような時代。かなりブラックな環境でも誰1人文句は言いません。(内心は色々とあったと思います。笑)

ある日、睡眠時間が足りず疲労困憊な私は、貴重な資料の入った冷凍庫のコードをぱつんと切断してしまうという大事件を引き起こしてしまいました。
さすがに血の気が引いて上司に電話しました。夜中の3時でした。
今だったら、スマホのスリープモードで着信すら鳴りませんよね。スマホの便利機能ができる前で良かった・・・。

そんな過酷な修行の日々を乗り越えて、ぬかつか矯正歯科クリニックにやってきました。
父と一緒に働く中で、お互い治療に一生懸命になるあまり、喧嘩をしてしまうこともありましたが、たくさんのことを教えてもらいました。

歯並びや噛み合せでお困りの方のご不安を少しでも取り除けるよう、これからも精進してまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします!